MJBD (Myanmar Japan Business Development) のホームページを見ていただき、ありがとうございます。
皆様が、楽しい一日を過ごせるように祈っております。
※ご意見のある方は、是非、info.mjbd@gmail.comにご連絡下さい。
Webデザイン、グラフィックデザイン等、お客様の御希望にあわせて作成しています。最先端な技術かつサービスでお客様のニーズ応じてご提案致します。
※JCCM(ミャンマー日本商工会議所)様のホームページも我が社で作成しております。
もっと見る
現在、多くの日本企業が進出してきています。その日本企業に就職するため、また、日本へ行って日本の技術を身につけるために、是非、今、日本語を勉強してください。
我が校で学んだ生徒たちは、日本企業はもちろん、日本大使館付属の日本人学校、日本人会のジャパンクラブなどにも就職いたしました。
もっと見る
皆さん、こんにちは。私はミンカンッゾーと申します。今 20 歳です。日本語能力試験は、N2を合格しています。以前から僕は日本語や日本の文化に深い興味を持ち、いつかきっと日本へ行きたいと考えていました。それで大学二年生の時に思い切って大学をやめて、日本語を集中して勉強し始めました。しかし、一般の家庭の収入では、日本の大学へ留学する事は、特に金銭面でたいへん難しいことが分かってきました。そんな時、MJBD事務所で日本人のOKITA 先生に出会いました。とても親切な先生で、生徒達のために分かりやすくいろいろな情報を流し説明してくださり、僕がもっていた不安をなくしてくれました。先生は、「日本へ留学するためには、お金よりも思いやりの気持ち、頑張りたいという気持ち、そして何よりも誰にでも親切な心がいちばん大切なことです」と話されました。お金が無いのに日本へ留学するという事は、簡単な事ではありません。しかし、日本人のOKITA 先生はちゃんとやってくれましたので、僕は日本へ留学できるようになりました。僕は、しばらくの間MJBD日本語学校でミャンマーの青年たちに日本語を教えました。自分のためにもってもよい経験になりました。 お金が無くても正直で親切で頑張りたい気持ちがいっぱいある青年たちは、MJBD JAPANESE LANGUAGE SCHOOL で勉強し、将来は、ミャンマー国の代表として、日本の福祉施設で働き学び、ミャンマーと日本の架け橋として、両国に貢献していきましょう。それがお父さんやお母さんなど、ミャンマーにいる家族を大切にすることにつながっていきます。
皆さん、こんにちは。私はスェジントゥンです。25歳です。N2を持っています。日本へ行って勉強することは私の夢でした。しかし、日本へ行くことは、多くのお金がかかります。普通の家庭に生まれた私には簡単にはできませんでした。MJBDの置田先生にお会いしてから私の夢が本当になりました。MJBDから日本へ留学すると、ミャンマーでは、お金はまったく準備しなくてもよいのです。ただ、日本へ行くためには、二つの条件が必要です。それは、目標に向かって「頑張る心」と、ミャンマー人の誰もがもっている家族やお年寄りを大切にする「優しい心」があればできるのです。わたしの挑戦はこれからですが、将来日本で働き、学んで仕送りもできるようになります。
ピョー ピョー テッです。 2017年12月のJLPT試験でN2を合格しました。点数は予想していたよりも少なかったんですが、でも合格できたので、とても嬉しいです。日本のアニメをきっかけとして日本語の勉強をはじめてから、今4年になりました。N3レベルまで勉強して、その後、学校MJBDでN2を勉強しました。授業は1週間に1回ですが、先生はいろいろな参考資料を作ってくださり、わからないことは何回も説明して教えてくださいました。2017年の初め頃は文法だけ勉強していました。 7月にMJBDで置田先生に出会ってから、「N2は絶対合格しなきゃ」という気持ちで 語彙を毎日覚えるようにしました。 宿題の本に先生が書いてくださった一言は、私の力になりました。先生のあかげで、私たちN2合格しました。先生、まことにありがとうございました。
私は、ターターアウンと申します。この3月までヤンゴンのダウンタウンに事務所があります MJBD で日本語を教え ていました。そして、4月からはさらに日本語をマスターするために、日本の岐阜県にありますスバル日本語学校に 留学し、日本語を学ぶことにしました。スバルの卒業生の中には、日本の国立大学である「岐阜大学」に進学する学生 もいます。私もできれば頑張って岐阜大学に合格して、日本語だけでなく、日本の歴史・文化・習慣なども勉強し、ま
た岐阜でいろいろな経験を積んで、将来は日本とミャンマーとの架け橋の1人になれるように国際貢献の夢を果たし たいと願っています。
もし私のように日本留学に興味のある方は、MJBD にご連絡してください。MJBD のスタッフと共にあなたの夢を叶 えていきましょう。
MJBD 連絡先 : 09-2623-02069
私は、念願だったJLPTのN3に合格することができました。 一般的にミャンマー人が苦手なところは、「会話」と「聴解」の試験です。私も同じように「聴解」と「会話」が苦手でした。特に今回N3の試験を受ける前には、「聴解」ができるかどうかたいへん不安でした。 私は、これまで日本人と話す機会がありましたが、いつも緊張して何も話せなくなってしまいました。そんな時にレインアウンモーさんから日本人の置田先生を紹介してもらい、先生から3ヶ月間日本語を教わることになりました。そして、それから少しずつ「会話」と「聴解」が理解できるようになり、試験の時は苦手にしていた「聴解」も心配しないで受けることができました。 やはり日本語をマスターするには、日本人の先生に習うのが早道だと思います。日本人とオールジャパニーズで話せば、自然と日本語に慣れて、いつの間にか「会話」と「聴解」は上達していきます。 今回LPTのN3の試験では、置田先生に大変お世話になり感謝しています。ありがとうございました。私はこれからもさらに日本語が上達するように頑張っていきます。
私の名前はハンジンウーと申します。20歳です。JLPT の N3 に合格してい ます。私は今年の 3月 26 日に日本に留学します。この MJBD 学校は日本に 留学するために、いろいろ手伝ってくれます。だから皆さんは心配しないで 日本に留学できます。MJBD からの留学の特色は、将来5年間日本の福祉施 設で働くという条件で、自分のお金は全然使わなくとも日本に留学できるこ とです。日本の大学の2年間で福祉介護士の免許を取れば、日本人と同じ給 与がいただけ、ミャンマーに仕送りもできます。バイトをすることになる老 人介護については、これからミャンマーにとっても大切になる時代がやって 来ます。皆さんも日本に行くことは心配しないで、このチャンスに MJBD 学 校と連絡をとって自分の夢の一歩をかなえてください。
私の名前 は イピューアウンと申します。今 24 歳 です。 私は 2017 年 12 月に 日本語 能力試験 N 3 レベルを合格しました。私は N 4 レベルを合格した後、MJBD 日本語学校に通って日本語の勉強をしました。 その時 MJBD 日本語学校で、日本 語が上手な人ならミャンマーでお金を準備しないでも、日本へ行ってさらに日本語を 勉強するチャンスがあることを知りました。もちろんミャンマーでも日本でも様々な 手続きがありましたが、しかしそのほとんどは MJBD 学校で、私たちに代わって手 続きしてくれました。そのおかげで、私は 2018 年 3 月 26 に日本へ行って、日本語 を勉強することができるようになりました。日本語を勉強した後も、さらに大学で福 祉の勉強ができるようになりました。皆さんも日本へ行って勉強したい気持ちがあっ たら MJBD 日本語学校に連絡してください。MJBD の 先生は、私たちのために日 本語だけではなく、いろいろな事を教えてくれます。何も心配しないでまずは MJBD 日本語学校に相談してください。そして皆さんの夢をかなえてください。
3月27日、5人の留学生ターターさん・アウンさん・ハンさん・スェさん、そしてカン君が 無事に名古屋国際空港に着きました。施設や大学の職員の歓迎を受けて、大学で用意したスクー ルバスで中部学院大学まで行き、大学の食堂でランチをいただきましたが、ベトナム航空の機内 食はほとんど食べなかったらしく、また精神的にも疲れていることもあってか、日本の折り詰め 弁当も残してしまうほどでした。
午後の岐阜市役所での手続きでは、年度 末でごった返しをしていましたが、どうに か住民登録も終え、国民健康保険の加入も 済ませました。そしてその足で桜の名所で もある岐阜市伊奈波神社を訪れて、満開の 桜の木の下で日本の神様に入国の報告をし ました。そしてその日の夜は置田家で夕食 会をし、ようやく緊張感も取れ、笑顔も出 てきたようでした。
3月28日、まずは自転車を求めてマー ケットを廻り、いろいろと品定めをしなが ら最終的にはホームセンターで同じタイプ の新車を購入し、すでに西日が差す夕方に なっていましたが、早速近くの山寺へ桜を 求めてみんなでサイクリングに行きました 。ちょうどその時に山寺の方から『ゴーン 』と鐘の鳴る音がしたので急いで自転車を こぎ山寺に行き、みんなで鐘突き体験をしました。そしてお寺の和尚さんにお礼として、ちょう ど練習していた童謡歌『夕焼け小焼け』を披露しました。その歌詞の中には、「夕焼け小焼けで 日が暮れて、山のお寺の鐘がなる・・・・・」というくだりがあり、あたかも詩の中に自分達が いるような偶然が重なり、山寺の桜の木の下で仏教徒の青年達と日本の僧侶との出会いとなり、 まるで映画のワンシーンのようでした。
3月29日、お世話になる老人ホームの椿野苑と桜美寮の見学に行き、施設との契約も済ませ ました。今回の留学は施設の支援があってこそ実現ができたのです。施設のトップの理事長さん からは、施設としてもミャンマーの留学生に期待をしているという励ましのお言葉をいただきま した。その施設は山奥にありましたが、どこも桜が満開で、中には桜吹雪で桜の花が舞い落ちて きて、学生達を歓迎してくれる桜の木もありました。学生達は、施設の中を見学しながら、前の 夜にもみんなで練習した日本の歌謡曲『上向いて歩こう』を施設の老人の皆さんの前で合唱披露 した時は、居合わせた皆さんも一緒に口ずさんでくださり、歌い終わると大きな拍手と歓声をい ただきました。
3月30日、自分達の寮の近在の家々に挨拶回りに行きました。日本に持ってきたお土産のミ ャンマー茶を一人一人がかわりばんこに「つまらないものですが・・・・(@^▽^@)」とミャンマ ーで教科書通りに習った挨拶言葉で手渡しました。訪問したお家の人の中には、学生達に自分の 家で収穫したほうれん草やブロッコリーをお返しにくださる人もいました。とても新鮮で美味し そうだったので、その日の夕食にいただいた野菜をミャンマー風味にして食べたようでした。日 本の野菜はミャンマーに比べてたいへん値段が高いので、苦学していく学生にはとても助かりま す。
3月31日、午前中は児童生徒放課後デーサービスの施設にボランティアに行ってきました。 日本の子ども達と一緒にカルタ取りをしたり、焼きそばを作って食べたりして楽しく過しました 。昼からは桜のきれいなお寺の観音様や本堂にお参りして、山にも少し登って桜見学を楽しみま した。
4月1日、みんなで地域の春祭りに参加しました。近くの神 社に朝8時に集合して、御神輿の出発の時に自治会長さんから 地域の皆さんに学生達を紹介していただきました。お祭りもミ ャンマーの若い青年達が参加してくれたということでたいへん 盛り上がりました。女性4人は子ども御神輿を担いで、カン君 は大人御神輿に加わり、地域を2時間ほど廻りました。お昼に は地域の公民館の桜の木の下でお祭りの打ち上げ食事会があり 、ロンジーに着替えて参加しました。ここでも日本の歌『夕焼 け小焼け』と『上を向いて歩こう』を披露しました。彼らは来 日してわずか5日間で歌詞も完璧に覚え歌っていたので地域の 人もびっくりしていましたが、日本人の若者や子ども達はこの 歌を知らない者が多く、ミャンマーの青年達の日本での生活に 向けての熱い思いが伝わりました。私の方からは地域の高齢者 の方に向けて「もうすぐ彼らが皆さんを介護する日がやって来 ます」とか「彼らはアルバイトして自力で大学生活をします。 もし野菜が余っていたら、彼らのため応援してください」とち ゃっかりとお願いもしました。留学生達は、この6日間で日本 の満開の桜と地域の人から大歓迎を受けました。
<レポート MJBD日本側支援者 前日本人学校長 置田和永>
ミャンマーの現状
ミャンマーのIT 関連の大学では、毎年4000 人以上の青年達が卒業します。日本語については毎年120人以上の若者が卒業します。
この青年達のお給料は、中国はもちろんのこと、タイ、フィリピン、ベトナム等と比べてもかなり低い状態です。しかし、能力は決して劣ることはありません。ミャンマー人は勤勉で温厚です。ネットを見ても多くの外国人が「ミャンマー人と一緒に仕事をしたい」と書いています。
能力の有る青年達が仕事を探しています。
ミャンマーに進出した多くの企業が社員を増やしています。
一方、日本は、老齢化が進み、若い働き手が不足しています。是非、貴社もミャンマーをお考え下さい。
No.57, 2nd Floor, 28th Street, Lower block, Pabedan Township, Yangon, Myanmar
+959 262302069
8:30-17:00
金曜日クローズ
info.mjbd@gmail.com