ミャンマーを舞台にした『ハーモニカ物語』

一般社団法人日本ミャンマー友好協会 大島静雄著

大島先生は大正14年6月10日生まれです。よってアジア太平洋戦争中に青年期を過しておられます。愛知第一師範学校を卒業されて、戦後は小中学校の教員として活躍され、校長で定年退職されました。特に愛知県の国語教育に尽力され、自身もこれまで『やとみ昔話』『村の子守歌』『お爺ちゃんの玉手箱』『鳶の鐘たたき』『慟哭のあした』『あすなろの歌』等、どの作品も子ども達に優しく語りかけているようなたいへん読みやすい文章で綴られています。そこには日本の古き良き時代の言霊を感じます。
日本は敗戦によって、それまで温められてきた日本の文化は、洋魂洋才というアメリカの価値観が新しい教育では浸透していきました。しかし、大島先生の綴られた著書からは大和魂が聞えてきます。御年92才という戦前・戦中・戦後と日本の激動期を過された豊かな人生経験が刻まれています。
大島先生はこのミャンマーを舞台にした『ハーモニカ物語』を出版されてからビルマ通となられ、日本ミャンマー友好協会に加入されました。そして今年の3月にその著書の舞台となったミャンマーへ旅するために「愛知県弥富旅行団」を結成し、総勢20名で親善訪問されました。
実は『ハーモニカ物語』に登場する将吉という主人公は、20年前ミャンマーのバゴーという古都に日本の援助で学校建てるというプロジェクトに参画し、その時に現地の子ども達とハーモニカを通して温かいふれあいがありました。今回の旅は、物語の登場するサークインという小学校を探し出すことから始まりました。幸い現地との連絡が取れ、当日は村長さんや校長先生を始め、サークイン小学校の子ども達も学校を上げて大歓待してくれました。
ご高齢にもかかわらず私たちの人生の大先輩として、今もなお現役で文学を通してボランティア活動を継続されている大島先生に心より敬意を表します。


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ミャンマーに旅する人は皆、何故かそこにいにしえの日本の原風景を感じ、心を奪われていき、いつの間にか『ビルキチ』になってしまいます。
赤尾さんも2004年にはじめて当時軍事政権下のビルマを訪れた時、ラングーン市内を外れるとすぐに田園風景が広がり、そこでは水牛が田を耕し、吹く風に脱穀を委ねるシーンが展開し、子どもの頃の郷愁を誘う光景がありました。
  この写真集は銀塩・モノクロだからこそ色で表現できない深い味わいがあります。

日緬合作映画『僕の帰る場所(Passage of life)』

~東京国際映画祭2017「アジアの未来」部門で入賞

ミャンマーから東京へ出稼ぎに来た夫婦、日本で子どもが生まれ、日本の子どもとして成長していきます。しかし、徐々に母親が日本の生活で精神的に落ち込み、意に反して父親は家族をミャンマーに帰す選択をする。・・・・
この映画は、2013年にミャンマー国籍を持ちながらも現地の日本人学校の幼稚部・小学部に入学した兄弟がモデルとなり、家族の絆という普遍的な価値がテーマとなっている。写真のシーンの3人は、東京に住んでいるミャンマー人の本物の親子である。藤元明諸監督は、最も難しいまったく素人の子役を俳優として、この映画でみごとに親子の人間模様を描き出している。
現在ミャンマーでは、ロヒンギャの紛争など少数民族の自治の問題が浮上していますが、大人達の身勝手という戦では、いつも犠牲となるのが何の罪もない子ども達だ。この映画では、国際映画という文化交流の中で、民族の相互交流やなかなかグローバル化されない教育の国際化にもメスが入れられています。
来年は願わくばミャンマーと日本と同時公開を願うところですが、やはり初期投資にはスポンサーが欠かせません。是非、ミャンマーに進出している企業の方でご支援していただけることを願う。
劇場公開は、来年に日本とミャンマーでの同時公開し、更にはアセアン諸国に広げていくことを予定しています。これから公開に向けた情報もアップデートしていきたいと思っております。皆さまのご支援をどうぞ宜しくお願い致します!
藤元明緒
この映画は祖国を離れ、日本に暮らす4人のミャンマー人一家。ある日、家族のもとに届いた通知が家族の運命を変えていく…。日本とミャンマー、国境を越えて紡ぐ実話をもとにした愛の物語。 Official Site